日本大使はカブールから真っ先に逃げ、米国代理大使は最後まで残った (2021/9/1

 

 

カブールがタリバンの手に落ちたのが815日、日本大使館員はその2日後の17日に英国軍用機でさっさとドバイに逃げてしまった。そして、現地の残る日本人*1/と大使館の現地職員*2/とその家族はそのまま捨て置かれた。

 

日本政府が自衛隊を派遣して現地に残る日本人および現地職員とその家族を待避させることを決めたのが20日、そして自衛隊の輸送機がカブールに着いたのは25日であった。つまり日本大使が逃げ出した8日後の到着となった。その結果は報道のとおり、1名の日本人を輸送するにとどまった。

 

ほぼ同じような状況に置かれた韓国は390名の現地職員を待避させることに成功した。韓国は一度国外に退避した大使館職員が再びカブール空港に戻り、市内に集合した職員を空港まで運ぶためのバスの確保に奔走したことが功を奏したと伝えられる。

 

一方、日本の外務省の指示は、当初、「空港まで自力で来い」というものであった。韓国政府の動きを見てそれを真似した日本政府はその後バスの手配を行ったようであるが、時既に遅し、空港ゲートで自爆テロが起こり、すべてが行き詰まった。

 

そして31日に入り、駐留する米軍はバイデン大統領の発表どおりアフガニスタンから完全に撤退した。司令官のクリストファー・ダナヒューと代理大使のロス・ウィルソンは撤退最終日までカブール空港に残り、最後の飛行機で待避した【CNN Updated 0853 GMT (1653 HKT) August 31, 2021】。つまり大使を含めた現地最高責任者は全てを見届けるまで空港にとどまり、職責を全うした。

 

この彼我の差は明確である。マスメディアでも指摘されているように、日本政府の失敗が危機管理能力のなさにあることは火を見るよりも明らかである。加えてもう一つの教訓を教えてくれた———「海外で争乱に巻き込まれても、日本大使館はあてにならない」。

 

 なにやら終戦直前の関東軍の行動を思い出す。ソ連が満州に侵入したという情報が入るやいなや、関東軍上層部の一部将校が民間人と兵隊を残して内地に逃げ帰ってしまった。

 

*1/     国際機関の日本人職員と報道

*2/     大使館と国際協力機構(JICA)の現地採用職員と報道

 

 

 

 

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