反原発はヒステリックか? (2011/6/15)
自民党の石原伸晃幹事長がおっしゃるには、「反原発の動きは、ヒステリー状態」とのことである(時事通信6月14日)。思うにこれは、前日の国民投票で、イタリアが原子力発電の廃止を決めたことを受けたものだろう。イタリアに先んじて、すでにドイツのメルケル政権も、2020年で原子力発電を完全停止することを決めている。
経済同友会の長谷川閑史代表幹事からも、似たような発言が出ている —— 「ベトナムやトルコが日本の原発を購入しようとしているのに、自分の国は運転を停止し、再稼働もしないというのは矛盾する」。これは、現在、停止に追い込まれている原発の稼働がいつになるのか分からないので、政府はさっさと判断基準を出して、再稼働させろと、言いたいのらしい。それとも、原発の海外への売り込みを停止すれば、彼は気が済むのだろうか?
さて、今、フクシマで何が起きているかをよく見てみよう。半径20km地域とその周りの一部地区で強制退去が実施され、彼らの生活はどん底に突き落とされている。仕事を捨て、故郷に帰れる見通しは全く立っていない。すでに、将来を悲観した自殺者まで出ている。一応、安全地帯になっているはずの福島市でも、事故後3ヶ月たった6月10日に測定された放射線量は、依然として平常時の40倍の強度である。
石原さんや長谷川さんたちは、このようにおっしゃりたいのだろうか?「被害に遭った方々には、お気の毒であるが、日本の経済を維持するには、原発は欠かせない。君たち、もし犠牲になっても、我慢してもらえないだろうか(後の面倒は見るからさ)」。まあ、こんなところだろう。
石原さんや長谷川さんの理屈は非常に簡単、明瞭である —— 「うまくいったら、僕の勝ち。でも、失敗したら君の負け」。
一方、6月13日、大阪の橋下府知事は、福井県敦賀市の河瀬一治市長から「脱原発」構想の真意をただす公開質問状に対して、次のように回答した —— 「もし原発が本当に必要なら、電力消費地の大阪に造るという話にして、(建設の是非を)府民に問いかけるしかない」。まさに正鵠を得ている。原発の利益を享受する者が、コストだけでなく、リスクも負担する。受益者負担の原則である。
原発の推進をどうするのか、これから本格的な議論が始まるのだろうが、少なくとも、過疎地の人々の顔を札束でひっぱたいて、すべての立地とリスクを押しつけていくようなやり方からは、決別すべきである。
石原伸晃幹事長の父上、石原慎太郎都知事は、未だにオリンピックの招致に未練があるようであるが、ここで思い切って、東京湾に原発の招致を提案してみてはどうだろうか。そのくらいの腹を決めなければ、原発の健全な議論は期待できない。