表現の不自由展・その後 (2019/8/10)
今朝の朝日新聞のオピニオン欄に「芸術祭 噴き出た感情」というタイトルで3名の識者の意見が掲載された。
この芸術祭とは、マスメディアで大きく採り上げられた愛知県が主催した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の「表現の不自由展・その後」が僅か3日で中止となった件である。
中止が報道された直後は、大きく二つの意見で論争が起きた。
一方は、憲法に保障された表現の自由を守れと言い、もう一方は、表現の自由とは何を言ってもいいというものではない、明らかに政治的な意図を持った喧伝であり、公的美術館が支援すべきではないと言う。
まさに愛知県の大村知事と名古屋市の河村市長の論争であり、お互いを罵り合うことになる。その挙げ句の果てに、県に抗議が殺到し、現場が対応しきれなくなり、さらには、ガソリン缶をもってそちらに行くなどと言う脅迫が入り、主催者側は中止を決めるに至った。
これに対して、オピニオン欄の3名の意見は、問題の本質を結構突いていると思う。
まず、今回のような政治的主張の強い展示内容であれば、必然的に大きな論争を引き起こし、脅迫を含めて相当の抗議が殺到することは十分想定内にあった話である。ところが、知事を含めて開催の当事者達は「ある程度は予想していた」と弁解するものの、実態として何ら対策をしなかった。
この点について、3人の中の一人、黒瀬陽平氏(美術家・美術評論家)はこんな話をしている。
「(多くの地域で自治体が関わる芸術祭が開かれているが)その多くはアートという名を利用した『町おこし』というのが実態で、今回のような事件をのりこえるための術や知恵が蓄積されていない。」
次に、大村知事は中止を決めた後、声高に「表現の自由は民主主義の根幹」と語っているが、主催側の長である彼は開催への脅迫と混乱に対して毅然たる態度も対応も取らなかった。そもそも、県のトップにあり、愛知県警を従える立場にありながらである。
結局のところ、脅迫されてやめてしまったという惨めな事実しか残らない。
宮台真司氏(首都大学東京教授)はこの点を指摘している。
「警察と連携して、別会場でボディーチェックなど対処法を編み出すべきなのに、それをせず3日間で中止したトリエンナーレ実行委員会や津田大介芸術監督は未熟すぎます。」
唐澤貴洋氏(弁護士)も同じ指摘をする。
「警備強化などで毅然たる対応が(なぜ)とれなかったのでしょうか。」
私も今回の芸術祭の開催者には、何が何でもこれをやろうという心構えも気概もなかったとしか見えない。
また、作品の多くは左寄りの政治的主張を含めたものが多かったようであるが、右寄りとは言わないまでも非日常性を嫌う一般の人や政治家に対してどのように展示を考えさせるかという仕組みがなかったと見える。
結局、展示の目的も内容も理解できない人達の怒りをかき立てただけである。それが大混乱を引き起こし、困窮した大村知事と津田監督は両手を挙げて降参(開催中止)してしまった。つまりは、未熟な開催が表現の自由をさらに侵害する結果に終わってしまった。