移民、難民の受入 (2015/2/18)
昨日の朝日新聞に、曾野綾子氏が産経新聞に書いた「住居は人種別に」というコラム記事が採り上げられた。
まず、曾野氏の主張はこうである(2015年2月17日付朝日新聞引用)。
● 日本は労働移民を認めねばならない立場に追い込まれているが、他民族の心情や文化を理解するのはむずかしい。
● 南アフリカ共和国の実情を知って以来、居住区だけは白人、アジア人、黒人と分けて住む方がいいと思うようになった。
● 白人だけが住んでいた集合住宅に、人種差別の廃止以来、黒人も住むようになった。彼らは大家族主義で、1区画に20〜30人が住みだした。
● マンションは水の出ない建物になり、白人は逃げ出し、住み続けるのは黒人だけになった。
● 研究も運動も一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がよい。
このような意見に対して、これはまさに「アパルトヘイトの肯定である」、それどころか「ヘイトスピーチと同じである」と、当然のように反撃が出てくる。むべなるかな。が、そもそも曾野氏は右寄りの保守派であり、そのお歳を考えれば、社会のグローバル化を理解することを期待すること自体、無理な話なのでしょう。
かつて、ブラジル人労働者が増えた群馬県大泉町や浜松市、あるいは中国人が増えた池袋では、地元住民との間で生活のマナーを巡るトラブルが起きた時期もあったが、それでも時間をかけて問題を解決してきている。別に外国人はエイリアンではないのだから、こちらの生活習慣やマナーを説明すれば、彼らもそれを理解し、最後は協調できている。新宿の新大久保はコリアンタウンで知られるが、別にそこの治安が悪くなったわけでもないし、怖い場所になった訳でもない。逆にナウい活気のある町になっている。歴史のある横浜の中華街は立派な観光スポットである。
島国根性丸出しに、日本の文化が最高で外国人が入ってきたら日本の美しい伝統と文化が壊されるなどと発言する輩がいることは事実である。しかし、20年、30年後の日本を考えれば、老人ばかりで生産性が低下していくことは間違いない。現状維持では、日本がやがて行き詰まることは誰の目にも明らかでしょう。外国人の受入を含めて、社会の多様化、そしてグローバル化は誰にも止められない大きな流れである。それが嫌ならば、江戸時代の鎖国社会に戻るしかない。
ついでにもう一つの話題。2月13日の朝日新聞の投書欄に同じような記事があった。題名は「難民受け入れ、足元見つめよう」とあった。要は、「今の日本は、安易に難民を受け入れられる状況ではない」という主張である。その理由が振るっている。
● 在日韓国・朝鮮人に対するヘイトスピーチが社会問題になっている。
● これは国粋主義的な極右思想が根底にあると思う。国粋主義的な思想は、差別的感情の温床になりかねない。
● 命からがら逃れてきたのに、避難先の日本で中傷を浴びるようなことになれば、難民がつらい目に遭う。
● 難民が日本の言語、宗教、文化にスムーズに慣れるのは容易ではない。言葉が通じなくて、望む仕事に就けないことも予想される。
● 努力しても報われないと、無力感や不満が募る。もし、日本人と難民の間に分断が生まれ、対立が生じれば、ヘイトスピーチと同様の排斥運動につながるかもしれない。
● お互いにとって、よくない結果を招くのではないか。
はいはい、ご親切様。でもこれって、要は「お為ごかし」で言っていることでしょ。