日本の生産性はなぜ低いのか (2018/7/16)
日本の生産性が高くないことは、OECDレポートでも目にするとおりである。
そんなことを知ってか知らずか、日本の技術は世界のトップを走っており、そんなはずはないと思っている日本人は未だに多い。過去への郷愁に浸って、「物作りニッポン」などという自己満足の言葉が未だにマスメディアに登場する。
米国のコーネル大学が毎年「世界生産性指標(GII: Global Innovation Index)」と題する調査報告書を発表する。今年の報告で日本の評価はどうなのだろうか。一位はスイス、二がオランダ、三位がスウェーデンである。日本はと言えば13位にとどまる。ま、そんなモノかと考えるのか、余りぱっとしないと考えるのか、人それぞれだろう。ちなみに先進五カ国、つまりG5の順位は、英国4位、米国6位、ドイツ9位、フランス16位である。
アジアの中ではトップと思っているならば、それは大きな間違い。それならば二番目くらいか?それも間違い。答えは三番目。それが日本の実力である。アジアのトップは米国を一つ上回るシンガポール(世界5位)、次が日本を一つ上回る韓国(世界12位)である。日本の直ぐ後ろには香港(世界14位)と中国(世界17位)がついている。
これが今の日本の実力である。では、なぜそうなるのだろうか。そもそも生産性とは、モノを作ることの効率を言っているわけではない。生産性は、社会サービス、政治、行政、個人の生活などあらゆる軸で評価する。
コーネル大学が評価するGIIは、様々な経済統計や社会的条件で構成される。例えば、教育に対する政府支出、通信へのアクセス、政治の安定性、特許出願などがあげられる。日本の場合は高得点の項目と極めて低い得点の項目との差が甚だしい。
制度環境の軸では、政治の安定性と規制環境の評価はそこそこ高い。ビジネス環境も全体評価は7位と高いが、その中で「起業のしやすさ」に目を向けると83位と決定的に悪い。要するに、すでに安定しているビジネスには居心地はよいが、新しい事業を起こすのは大変ということである。
市場の成熟度から見ると、与信の獲得が70位、そしてベンチャーキャピタルへの投資が66位とこれまた低い。これは前述の「企業のしやすさ」の評価と重ね合わさる。新しいことを始めようと思っても、資金を確保することが簡単ではなく、かつ世間が見る目も厳しいということである。つまり、米国でIT企業が出ては消え、そして消えてはまた出つつ、産業そのものが反映してきた環境とは対極的である。
人的資源と研究分野での評価も低い。GDPあたりの教育支出は実に90位にとどまる。これは実に憂うべきで、人に投資もしないで、明るい未来が描けるはずがない。
知識と技術の産出で独自特許の取得は1位に輝くが、半面、新規ビジネスの産出は95位と低い。
こんな評価結果を見ている、日本の将来の姿に漠然とした不安が見えてくる。すでに確立した分野ではそこそこ高い評価はあるが、将来への備えがよく見えない。人への投資はしない。新しいビジネスを起こそうという環境に乏しい。産業の現状を見ればわかるように、かつて世界をリードした電気・電子産業はいまや見る影もない。元気があるのは自動車産業だけである。IT産業はと言えば、日米を比較するのは余りにもおこがましい。人工知能(AI)分野では、すでに中国が大きく先を行っている。
バブルの崩壊からすでに30年近くが経過する。その間日本経済は停滞し、人口の老齢化が進んだ。全てについて、日本に活力とチャレンジ精神が無くなってきたことが、生産性を向上できないことの原因なのだろうか。いずれにせよ、日本の明るい将来を描くには厳しい状況である。