ガーナのお葬式 (2010/10/24)

 

 

 

この7月からODAの仕事でガーナに来ている。たまたま、カウンターパートのご不幸があり、お葬式に参列するという経験をした。

 

ガーナでは、冠婚葬祭はきわめて大切な出来事である。日本と比べ、遙かに時間とお金を投じる。かつての日本でも、冠婚葬祭はその家の格式を示すものであり、きわめて重視されていた。生活様式が核家族化、そして都市化されたことで、かなり簡素化されたが、地方に行けば、現在でも数日かけてこれを執り行うところもあるという。

 

実は、私はお葬式の前日にいきなり招待され、一瞬その経緯がわからなかった。この方の奥様のお母様がお亡くなりになったという話を一ヵ月以上前に聞いたことがあったので、またご不幸が重なったのかと思ったが、そうではない。こちらでは、お亡くなりになって、すぐにお葬式が行われるわけではない。日本のように、火葬に付すわけではないので、遺体をそのまま一月以上維持し、その間に、綿密にお葬式の計画を立てるのが一般的な習わしである。

 

お葬式は二日にわたって行われる。私は初日のみの参加であった。教会でのお葬式はきわめて盛大であり、おそらく1000名ほどの参列があったのではなかろうか。この教会での葬儀はアクラで行われ、その後、遺体を故郷に運び、そこで埋葬する。霊柩車と参列の人たちが車列を作り、二時間半ほどをかけて故郷まで移動する。

 

故郷では、再び盛大な葬儀を執り行う。アクラから我々が到着するのを、村人たちが賑やかな音楽と踊りで待っていた。ちょっと、日本の感覚と違うところは、日本ではお葬式は弔事であり、賑やかなものとはなり得ないが、こちらはそうではない。太鼓、ラッパ、鳴り物の伴奏で皆が踊る。アフリカ独特のビートの効いた、アップテンポの音楽である。その場面だけを見ると、お祭りと勘違いしそうである。

 

アクラでの儀式はキリスト教に乗っ取った宗教的なものであったが、故郷のそれは宗教的というよりも、かつての親類縁者、顔見知り、幼なじみが参加して、死者を送るための儀式であった。村の学校の運動場にテントを張り、そこに多くの方々が集まり、歌と踊りを繰り返す。学校の生徒によるブラスバンドが賑やかに演奏する。最後は、教会の騎士が整列して、遺体とともに墓地まで行進するというものであった。

 

私には、貴重な経験となった。

 

 

 

 

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