平成から令和へ (2019/5/2)

 

 

昨日の改元では日本中が新しい時代の到来を祝福し、多くの人は平成を振り返れば、戦争がない平和な時代であったと言う。

 

しかし、平成とは経済を見れば閉塞感に包まれた時代でもあった。

 

バブルの絶頂期にあった平成元年(1989年)は、年が明けた途端に株価が暴落し、経済の停滞が続く時代の始まり前夜でもあった。当初言われた「失われた10年」が「失われた20年」になり、そしてついには「失われた30年」となって平成が終わったのも事実である。

 

平成の30年間、世界は大きく変化していったが、日本はその社会構造をさほど変えることができなかった。

 

確かに、年功序列賃金体系、それを支えてきた終身雇用制度に手が付けられ、女性の社会進出や外国人労働者の雇用でも対策が取られたが、構造改革にスピード感はなかった。

 

多くの日本人はそれまでの成功体験を引きずり、その成功体験に言い訳を見つけようとし続けた。「もの作り」に拘り、それが日本の強みと信じている人達は今でも多い。しかしその実態はと言えば、強かったはずの日本の産業は世界の競争から落ちこぼれていった。

 

確かニューズウィーク誌編集長のコラム記事だったと思う。平成が始まった年に時価総額で世界の上位50社に日本企業は32社入っていたが、平成30年にはトヨタが残るだけとなった。これを「ダーウィンの進化論の好例」と記述していた。

 

バブルの頃は日本の経済規模が2000年までに米国を越えるなどという「おだて」に乗って自己陶酔していたが、30年経って今に至れば、米国には圧倒的に差を付けられ、中国にもあっという間に追い抜かれた。

 

今や日本の経済規模は中国の半分にも満たない。その差は決して世界の製造業がいわゆる先進国から中国に移転したからだけではない。

 

ITCの分野、そしてAIの分野で日本の存在感は全くない。

 

日本でお馴染みのグーグル、アマゾン、アップルは遙か彼方を走っている。中国のバイドゥ(百度)やテンセント(騰訊)には、米国のGAFA(グーグル、アマゾン、フェースブック、アップル)と肩を並べるだけの力がある。彼らの起業家精神、変化への貪欲とも言える挑戦には圧倒的な強さがある。

 

令和の時代、日本がこれまでどおり過去の遺産を食い潰し続けるのか、あるいは気概を持って世界の変化に対応しようとするのか、私には分からない。

 

 

 

 

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