高速道路の最高速度時速120キロへの引き上げ (2016/3/31)

 

 

警視庁が一部の高速道路の速度規制を時速120キロまで上げることを決めたという。例によって、賛成意見、反対意見が出ているが、私は賛成である。

 

高速道路の規制速度は現在時速100キロであるが、警視庁は資料がないので、その理由が分からないと言う。

 

確か、日本で最初に開通した高速道路は名神高速(1963年開通)であったと思う。それまで、日本人は高速走行などというものを経験したことがなかった。ふと思い出せば、当時の一般道は舗装のないところ、やっとこさ簡易舗装が施されたところが当たり前にあった。そんな道路事情で、子供の頃、父親の車に乗せて貰って走ると、前の車がもうもうと立ち上げる砂埃で、車の中が砂まみれになった記憶がある。

 

そんな時代に高速道路の建設が始まった。最高時速が二ケタの壁を破る、なんと三ケタの時速100キロという驚きだった。名神高速道路の建設を取り扱った当時のニュースでは、高速で進む車が安全に曲がるためには、アール(半径)が何メートルでなければならないといった技術のうんちくを説明していた記憶がある。制限速度時速100キロ設定の根拠は単に三ケタへの突入、その程度の話だろうと、勝手に思っている。でも、当時はなんと時速100キロの世界であった。

 

新東名を走ってみると、東名高速との設計思想の違いが明らかに分かる。新東名はとにかく走りやすいし、120キロ出しても、東名での時速100キロより疲れない。現状では速度違反であるが、車の流れに乗ると120キロになってしまう。人間の反射神経や速度間隔が速度を120キロに収斂させるのだろう。

 

高速道路の速度規制は時速何キロありきではなく、その道路が何キロの速度で走ることを前提にして作られているかである。新東名が最高速度120キロで設計しているのであれば、120キロにすればよい。高速道路は高速で走るからこそ、社会的な価値がもたらされるのである。

 

一方、反対意見を見ると非常に情緒的である。速度が速いと事故を起こしやすくなると。走行の安全は速度だけで決まるものではない。道路がどのような状況にあるのか、車の安全対策がどのように施されているかが議論のベースにある。そもそも、車は走る凶器になり得る。しかし、車を否定すれば、社会が成り立たなくなる。それを何処で妥協させるかが、技術と法規制のせめぎ合いである。技術の進歩により、その妥協点は変わってくる。

 

老人が増える日本の世の中で最高速度を上げることは危険と言う人がいる。現状、高速道路の最高速度は100キロであるが、それで走る必要は無い。最低速度の50キロ以上を出していれば違反にならない。つまり高速道路の法定速度は50100キロの間にある。自分は危険と思えば、走行車線(一番左側の車線)をその規制速度範囲内で走ればよい。自分の運転技倆を踏まえて、安全と思う速度で走れば良い。皆が皆120キロで走れと言っているわけではない。

 

ニュースで時々騒がれる老人による高速道路の逆走行。これこそ危険である。免許証を返上して頂くことが最善の対策である。追い越し車線を唯我独尊のろのろと走る車、これも事故を誘発する走行妨害である。運転技倆が衰えたと感じたら、無理な運転はしない。自分の運転が他人の迷惑になると感じたら、免許証は返上する。人は年と共に衰える。そこで無理をするから事故を起こす。

 

自動車メーカーは自動運転の技術開発に力を入れている。そんな新しい技術が人の衰えを補うようになる。情緒的に120キロは危険だ、規制しろと言うよりも、高速走行を安全にする技術開発に目を向けた方が社会のためになる。

 

 

 

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