夫婦別姓訴訟の最高裁判決 (2015/12/17)

 

 

昨日の最高裁判決は、結婚した男女が同じ姓にすることを定めた民法は合憲であるというものであった。ただし、裁判官15人のうち5人の裁判官は両性の平等を定めた憲法24条に反すると述べており、司法の場でも意見は分かれた。女性裁判官3名全員が違憲の立場であった。この点で、判決では合憲となったが、今の民法の規定が問題含みであることを浮き彫りにした。

 

夫婦別姓を認めよという意見は根強い。法制度新議会が法改正案を纏めたのはもう20年前の話である。2010年に当時の千葉景子法相が民法を改正しようという動きに出たが、保守派の反対で法案の提出には至らなかった。反対する理由は、別姓にすると家族の崩壊に繋がるというものであるが、私に言わせれば、「名字が違って壊れるような家族なら、そもそも長続きはしないでしょう」くらいにしか思えない。つまり本質ではなく、表面的なものしか見ていない。

 

日本で夫婦同姓になった歴史は僅か100年ちょっとでしかない(1898年の民法制定で同姓が義務付けられた)。江戸時代以前に遡れば、夫婦は別姓、そもそも一般庶民に姓などなかった。それを金科玉条の如く「日本の伝統」と言い続けることに無理がある。

 

先ほどの家族の崩壊という話である。今や日本の離婚率は3組に1組と言われる。保守派は「昔は良い時代だった」と言いたいのだろうが、そうではない。昔は、女性は独り立ちすることが難しかったので、例え嫌でも子供のためにと我慢して、結婚生活を続けざるを得なかったというのが実体である。自立した生活が見込めるのであれば、嫌々結婚生活を続けずとも、シングルマザーになってでも別れたいと思うのが当たり前である。

 

何やら結婚について否定的な話になってしまったが、夫婦別姓はむしろ逆の立場だろう。別姓を名乗りたいと言っているのは、多くが自立できている女性である。それゆえに自分のアイデンティティーに拘りがある。とりわけ専門職の女性は、姓が変わることでそれまでの成果(例えば、論文の提出やクライアントとの繋がり)が切り離されてしまうことに懸念を持っている。成人するまで使っていた姓を、結婚という理由だけで、なぜ変えなければならないのと思うのは自然であるし、それが自己のアイデンティティーというものである。

 

民法が時代に合わなくなっているがゆえに、リベラルな方々は社会の先取りをしている。法律でゴタゴタするならば、いっその事、事実婚でいいのではないかという夫婦である。事実婚では、遺産相続や税制で優遇措置が得られないという問題はあるが、事実婚を選択した方々はそれほど気にもしていないのだろう。妻曰く、「私の方が稼ぎは多いし、資産もあるわ」、「別に旦那に喰わせて貰っているわけではないわ」。そういえば、弁護士で議員の福島瑞穂さんも事実婚だったと思う。

 

日経新聞の1217日号に関連記事がある。かつては多くの国が夫婦同姓を採用していたが、その見直しが世界の流れになっているという内容である。面白いのは姓の選択肢に、夫、妻、あるいは結合姓があるという(たとえば、ドイツ、イタリア、ロシアなど)。一方、これは朝日新聞の同じく1217日の記事であるが、テニスプレーヤーの伊達公子さんの正式名称はクルム伊達公子である。彼女は結婚後、クルム公子に姓を変えたが、テニスプレーヤーとしての通称は伊達姓を押し通したそうである。しかし、戸籍と仕事の上での通称を統一したかったので、家庭裁判所を通して、クルム伊達公子に変更したと言う。私はてっきりクルム伊達公子の伊達はミドルネームとして使っているのだと思っていたが、そうではなかった(そもそも日本では、通称を除けばミドルネームは存在しない)。つまりこの「クルム伊達」が結合姓であると理解した次第である。

 

保守派の年寄り政治家には理解できないことが世界では既に起きており、日本でも起きつつあるということである。別に、全てに人に別姓を求めようと言っているのではない。選択肢を増やしなさいというだけの話である。

 

 

 

 

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