日産自動車の凋落
(2019/8/22)
民主党から自民党に政権交代した直後の2013年初め、日産自動車の株価は1100〜1200円の間にあったが、今や600円台の体たらくである。
その理由は言うまでもなく、カルロスゴーンの逮捕で明らかとなった企業統治力の欠如と経営の混乱、そしてそれを追いかけるようにして発表した今年度第1四半期(4〜6月期)の大幅な業績の悪化である。
第1四半期の営業利益は前年度同期の98.5%減の僅か64億円である。この間の売上が1兆3724億円であることを鑑みれば、何とか数字を黒にしただけのつじつま合わせの感は拭えない。
今や日産が利益を確保できているのは中国市場だけで、米国、欧州、日本のいずれの市場もガタガタである。
私の印象としては、日産に魅力のある車作りができなくなったことに原因がある。
日産が倒産寸前でルノーに助けられた後、カルロスゴーンの下でコストカッティングを進め、当初はV字回復と言える驚異的な再生を果たしたが、その後は新車の開発に慎重となり、全く魅力のない車しか作らなくなってしまった。
日本市場で言えば、トヨタやホンダどころかマツダやスバルと比べても、日産の車には魅力がなくなった。米国市場でも同じだろう。日産のアルティマは、もはやトヨタのカムリやホンダのアコードの敵ではない。同じく、セントラはカローラやシビックどころか、現代のエラントラにも負ける。
ふと思い返せば、私が若かった頃、1960年代から70年代にかけて、日本の自動車市場はトヨタと日産の寡占状態であった。そこには、ちょっと無骨ではあるがトヨタに対して技術の日産と言える姿があった。今となっては、技術の日産など死語である。現在の若い人はその言葉すら知らないだろう。
日産の凋落の原因はいつに経営にある。
1980年代初頭までの労働組合との軋轢、その後は、誰も経営のグリップが握れないまま、思いつくままに売れもしない車のモデルチェンジを繰り返し、利益も出せずに借金を膨らませた。
そして、倒産寸前となって、ルノーの救済にすがらざるを得なくなった。ルノーから派遣されたカルロスゴーンは日産を倒産の危機から救ったが、その功罪は、昨年から今年に掛けて新聞紙上を賑わせたとおりである。
私事であるが、たまたまつまらない事故で車を修理に出した際に、保険会社の手配で日産のシルフィーを代車として使うことになった。
車を動かした途端に気が付いたことは、ハンドルは軽すぎてフラフラ、アクセルペダルを踏むと右側面のタイヤえぐりの部分につま先が当たる。アクセルの踏み込みもやたら軽いだけで安定感がない。サイドブレーキも助手席側に配置してある。
要するにこの車、中国市場向けに左ハンドルで設計し、それを国内向けの右ハンドルに焼き直しただけである。そんな車であるから、国内市場では全く売れていないし、売れないのも当然である。
日産はグローバル企業であり、市場規模で劣る日本に見切りを付けたとしてもそれは納得できるが、こんな水っぽい車を作っていては米国や欧州市場で勝てるとはとても思えない。