梯久美子著 『散るぞ悲しき-硫黄島総指揮官・栗林忠道』 20057月 新潮社

 

 

小泉前首相の靖国参拝問題が政治的にも社会的にも大きく話題として取り上げられたことから、この夏は太平洋戦争に関わる様々な本が書店に並んだ。その中には先の戦争を正面から切り込もうとするものから、個人に光を当てたものなど、様々である。前者で言えば、半藤一利の著作「昭和史」が有名である。この栗林忠道の話は後者に当たる(ちなみに半藤も「栗林忠道 硫黄島からの手紙」という題名の書を出している)。

 

さて、この本は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したように、なかなか読み応えのある作品である。

 

著者の梯が最後に述べているように、一方で、戦場から離れ、安全な場所で、戦地の実情を知ろうともせぬままに地図上に線を引き、「ここを死守せよ」と言い放った大本営の参謀たちがいた半面、勝つ見込みが全くなく、しかもそこで死ぬことが確実であることを知りつつ、愚直にも一日でも長く敵の前進を止めるために最善を尽くした栗林のような軍人がいた。旧日本軍の「軍人」という言葉で一括りにすることは、余りにもためらわれる。

 

軍隊のように、個の感情を否定し、ヒエラルキーが絶対という組織の中で、栗林は個人としては人の優しさや思いやりを最も重視し、いざ戦いとなれば、部下に苦を強いるだけでなく、自らも同じ条件で先頭に立った。戦場から家族に宛てて書いた多くの手紙や、かつて部下であった人たちが語る栗林の人物像がそれを証明している。

 

しかし、将軍としての任務の遂行となれば、徹底して合理性を追求した。戦術を決める段となれば、先例に囚われることなく、最も実効ある計画に絞り、万難を排し、迅速にそれを実行に移した。必要とあれば、自らの決定に反対する部下を罷免するという、総指揮官としての厳しさも見せている。

 

彼は硫黄島以前に陥落したタラワやサイパンで見られたような、バンザイ突撃や水際で華々しく美しく死ぬことを部下に堅く禁じ、あくまでも敵を一日でも長く引きつけておくことを最大の目的とした。置かれている現実を冷静に受け入れ、楽観的にもならなければ、自暴自棄にもならない。

 

全員が生きて帰れないことが明らかな以上、「何々をせよ」と、上から下へ命令を押しつけることで、兵を動かそうとはしなかった。兵達の間に、「無駄死にはしない」、「一人でも多くの敵を倒そう」、「一人になるとも、ゲリラとなって敵を悩ませよう」というスローガンを浸透させていった。皆が納得できる共通の価値観を持たせたのである。だからこそ、食料も水も、物資もない戦場で、圧倒的に優勢な米軍を恐怖の底に落とし込むような戦いが出来たのだ。

 

私は戦いにおける戦略の立て方、決断、行動を現代社会に置き換え、とりわけ政治や企業の行動に映し直すことが好きである。机上の論理だけで、部下に仕事を押しつけ、弥縫策に終始し、組織を破滅に向かわせ、そして最後の責任は回避するという人間は珍しくない。道路公団に限らず、山一証券、カネボウといった民間企業の破綻においても、そのような場面を目にしてきた。

 

この文章は、ビジネスネット書店「クリエイジ」の20061113日の書評として掲載したものです。<http://www.creage.ne.jp/>

 

 

 

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