『法案作成に「一太郎」職人芸』 それって必要ですか? (2024/10/3)

 

 

先週の日経新聞に、こんな記事があった。見出しは『法案作成に「一太郎」職人芸 若手官僚、継承へ知恵絞る』。

 

記事を読むと、法案作成には未だに「一太郎」を使っているものの、使いこなせる人が少なくなるなかで、職人芸を伝承する工夫を重ねているのだそうだ。どう考えても、民間では考えられない発想である。

 

そもそも、今もって一太郎を使っている民間企業を私は知らない。MS1/ワードがデファクトスタンダード2/になって、もはや30年は経っている。

 

1990年代初めまでは、和文であれば一太郎を使っていた人はいた。英文であればMSワードとワードパーフェクトが争っていた。しかし、一太郎もワードワードパーフェクトも市場競争の中で淘汰されていった。決して、ワープロソフトとして劣っていた訳ではない。むしろMSワードより高い評価を与える人は少なからずいた。

 

淘汰された原因は簡単である。マイクロソフトのウインドウズがパソコンのOSとして市場を席巻し、そしてMSワードは、エクセル、パワーポイントを統合したMSオフィスという形で提供された。MSワードが総合的な機能で他のソフトを圧倒したからである。エクセルと市場を争ったロータス1-2-3も同じ運命を辿った。

 

霞が関の役所が一太郎を使い続けている理由は、どうも法案作成時のデザインにあるようだ。多分、表を配置するには、右端から何mm、左端から何mmといった具合に厳密なしきたりがあり、それを踏襲するには一太郎が優れるということなのであろう。(ひょっとすると、過去作成した一太郎のファイルを使い回す事も別の理由なのだろうか。)

 

若い官僚はそもそも一太郎など使った経験がないので、操作に困ってウェブを探しても、ほとんど情報が見つからない。そのために役所横断的に独自のマニュアルを作ったという。そして、若手官僚による職人芸を伝承するという。

 

これこそ人が機械に使われる典型である。民間でそんな生産性の低いことをやっていたら、市場競争の中で企業そのものが弾き出されてしまう。そんな競争とは無縁な役所ゆえに、こんな馬鹿げたことに一生懸命になって時間と労力を割くことになる。

 

表作りの配置に何mmという正確さを求めることが、法案作成の本質論ではあるまい。誰でも使えるMSワードで処理できるように許容範囲を緩めれば、時間の節約ができるはず。そんな職人技に使う時間があるならば、本来の政策議論に時間を使った方が遙かに生産性が上がる。

 

失われた30年のなかで、日本は独自のガラパゴス化した技術や規格にしがみ付き、諸外国に一気に追い抜かれ、置いてけぼりを喰ってしまった。霞が関が未だにそんなガラパゴスの世界に浸っていたとは、思いもよらなかった。

 

 

1/     Microsoft

2/     事実上の標準

 

 

 

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