朝霞公務員宿舎の建設 (2011.10.2)
そもそも、事業仕分けで否定されたはずの「朝霞公務員宿舎」の建設が始まっていたことすら知らなかった人がほとんどだろう。
野田新首相の下で、復興財源確保の増税が決まったことで、この朝霞問題が表に出てしまった。財務省は、役人らしく、既存の宿舎の統廃合を進める中での事業であり、既存宿舎の売却収入と新たに作る朝霞の建設費を差し引けば10〜20億円が浮くので、これを復興財源に回せると、もっともらしい言い訳をしている。
しかし、本質はそのようなものではあるまい。まず、事業仕分けの大騒ぎを思い出してもらいたい。政権を取った勢いで、蓮舫議員を頭に据え、あれだけ、マスコミを動員して行った「事業仕分け」が、いつの間にか、そしていつものごとく、役人の論理で誤魔化されていたと言うことである———これこそ、政治家と役人の本質である。つまり、事業仕分けとは、見せかけだけの政治ショーに過ぎなかったという話にしかならない。
それ以上に、根本的な問題がある。なぜ、公務員に宿舎が必要なのかという点である。かつては、民間企業も社員寮や社員アパートを持っていたが、バブルの崩壊と共に、事業リストラの一環として資産売却を進めた。基本的に、住宅を探すのは個人の問題であり、賃貸か持ち家というのが、今や世間の常識である。賃貸に対する住宅補助ですら、フリンジベネフィットとして縮小されつつある。
そして最後に、財務省のもう一つの言い訳である———すでに、建設会社と契約してしまったので、もし取りやめれば、違約金が発生する。この手の言い訳で、過去、どれだけの無駄な公共事業が進められてきたか、国民は身にしみて知っているはずである。そして、そのつけは、すべて税金という形で国民に回ってきた。
一例をあげれば、1995年にナトリウム漏れを起こして以降止まったままの高速増殖炉「もんじゅ」には、これまでに9000億円を超える金が投じられ、未だに一日あたり5500万円の維持費が使われる。しかも、高速増殖炉の開発自体、先の見通しが全く立っていない(米国も欧州も、すで開発に見切りを付け、計画そのものを中止してしまっている)。一旦事業停止が決まった「八ッ場ダム」も同様である。
ダメと分かったら、傷口を広げないうちに手を引くのが民の論理であるが、「お役所の論理」はそうではない。あるのは利権とメンツ———言うまでもなく、最後のお勘定書きだけは国民に回る。