憲法改正の議論 (2031/5/9)
安倍内閣が憲法第96条の改正の意向を示し、参議院選の論点とするとも発言した。もちろん、この裏には第9条(戦争の放棄)の改正があり、それが本丸である。例によって、社民党、共産党は相も変わらず護憲の立場であり、民主党は第96条の改正には反対の立場を取った。民主党の主張は、護憲と言うよりも、国の基本である憲法改正には高いハードルを置くべきという意見であろう。
現在の第96条は憲法改正の発議は、衆参各院で総議員の3分の2以上の賛成を要件としている。これは世界的に見て厳しい条件なのだろうかといえば、そんなことはない。
l 米国では「連邦議会の両院の3分の2の賛成」に加えて「全州の4分の3の州議会の賛成」が必要であり、日本より厳しい。
l フランスは両議院での可決の後、国民投票に入るので(ただし、大統領が改正案を両院合同会議に付託し、有効投票の5分の3の特別多数で可決された場合、国民投票は不要)、日本よりはハードルは低いといえる。
l 日本と同じ第二次世界大戦の敗戦国であるドイツでは、「連邦議会3分の2以上の同意」かつ「連邦参議院の3分の2以上の同意」が要件であるが、国民投票は必要ない。
l イタリアは、「3か月以上の間隔を置いた連続する2回の審議における各議院の可決」が要件である(国会の各議院の2回目の表決で、3分の2の特別多数で憲法改正が可決された場合、国民投票は不要)。
l ちなみに英国には憲法はない。
【国会図書館『諸外国における戦後の憲法改正【第 3 版】』 Issue Brief No 687 (2010. 8. 3.)】
一方、各国はこれまで何回憲法改正をしているのだろうか。戦後、米国は6回、フランスは27回、ドイツは実に59回、イタリアは15回改正している。
さて、日本の憲法改正の議論では、私は「変えるべき」と思っている。特に9条が問題である。護憲派は、平和憲法は世界に誇るべき条文と言うが、建前と実態との乖離が余りにもひどすぎる。第9条は明確に「戦力の不保持」を謳っており、「自衛隊は戦力ではないので合憲である」という理屈は誰が見てもおかしい。ところが、現実に日本の主権を守るためには、軍事力を否定することが出来ないことも、大方の日本人は「現実」として認めている。その結果、現在の憲法第9条は完全に「建前」だけに形骸化し、「干からびた」存在になってしまった。
加えて、司法も自衛隊の憲法判断から逃げたままである(こんな体たらくだから、日本の司法は、三権分立どころか、完全に政治に従属していると侮蔑の目で見られてしまう)。
現在の自衛隊は、国際的には立派な(しかも相当強力な)軍隊であり、自衛隊と呼べば軍ではないと言っているのは日本だけである。自衛隊の存在を認める以上、正当な道筋は憲法第9条を変えることである。
先のドイツの例である。日本と同様に、議会の3分の2以上の同意が必要なドイツが59回の憲法改正を行ったのは、日本人の目からすると、凄いとしか言いようがない。この違いは何なのだろうか。国民性だろうか。どちらの国民性も「きまじめな点」が似ている。しかし、本質的に違う部分もある。ドイツ人は理詰めでモノを考え、「建前」と「本音」の使い分けは、余り耳にしない。一方、日本人は、「丸く収める」ことばかり気にして、本音と建前を相当に使い分ける(しかし、これは二枚舌にも繋がりかねない)。